Zakki__

悲しい生存のログ。

zakki__20221011

個人的に秋は嫌いだ。特に11月は吐くほどに嫌いだ。元恋人に告白した月だからだ。青臭くて、なよなよした青春まがいの日々を思い出して吐き気がする。摂りすぎた糖分は害でしかない。ひと時の幸福は後ろを見遣れば、刃物になって襲いくる。永遠に幸福なんてない、というと悲観主義がすぎるかもしれない。聡明な人間なら、手元の幸せを持続させることができただろうが、傲慢で怠惰で煩悩塗れな私は、簡単にその茎を手折ってしまった。目に見えない未来の可能性を自分の余裕のなさで潰してしまった。過去の話をしても仕方がないのだが、ふと今日はそのことを思い出してしまったので、寒くなる夜に後押しされて恥ずかしい文章を書き連ねている。結婚というライフステージがあり、二十代も半ばに差し掛かると、身の回りの先輩や同期、もしくは後輩などが少しずつ、共同生活の一つの通過点として、結婚し始める。傲慢で自尊心の強い私はただただ、取り残されるのが怖くて仕方がなくて、仕事から帰るなり、布団にこもってガタガタと震えていた。目を閉じれば、自分の遺影と棺桶があり、その周りにはただひたすら白い壁が広がっている。周りには誰もいない。音のない、静かな孤独。因果が逆か。孤独だから静か。ひそやかな焼香の燻りの音すら誰も拾ってくれない、そんな夢だ。死んだ後の話なんで、遺体を引き取る誰かに任せて仕舞えばいいのだけれど(それが家族になるか、その手のサービスを受け持っている特殊清掃業者から分からないけれど)、私は祖父が亡くなってから十年近く、このような孤独で終わる夢を見続けている。見続けては、ベッドから跳ね上がる。汗がだらだら滝のように流れる。心臓の音がやかましい。恐れ。人一人分の、きっと人一人では抱えられない、抱えることが難しい恐れに常日頃悩まされている。それはもちろん、かつての恋人と付き合っていた頃も断続的に続いていた。たとえ誰かと生きていたとしても、そういえば孤独で終わる夢を見ていた。書きながら思い出した。思えば、その程度の信頼だったのかもしれない。孤独な夢を終わらせるのは、好きあった誰かではなくて、自分でしかないのだから。今日もまた、眠れない夜を引き伸ばすために、柄でもない日記をネットの海に放流している。誰に伝えるでもない単純な感情の吐口。夜に見る孤独な死の夢が自分だけのものじゃなければいいと思う。この気持ちはシャーデンフロイデに近いだろうか。他人の不幸を願うつもりはないけれど、この世界のどこか片隅、シングルベッドに丸まって、来る孤独の死を夢見る誰かに思いを馳せながら、更ける夜に身を投げる。